前例のない課題に
グローバルの英知を結集して挑む
今さら言うまでもなく、日本の製造業は世界をリードする立場にある。欧米やその他アジア地域における技術力の向上も目覚しいものがあるが、とりわけ日本の先進性には注目が集まっている。だが、長年の間“製造業大国日本”においてサプライヤーの地位から脱し切れていない製品がある。このプロジェクトは、単に一企業の事業起ち上げ案件という枠では語り尽くせない。製品の開発にかかる予算は数千億を超える。
本企画で紹介するデロイト トーマツ コンサルティング(以下、DTC)のメンバーが現在携わっている新産業創成プロジェクトが成功すれば、日本にもたらされる経済効果は計り知れない。それほど大きなインパクトを与えるプロジェクトなのだ。
発端はDTCのパートナー、桐原祐一郎の元に届いた1通のメール。内容は、大手製造業グループからの新規事業立ち上げ、製品開発に関する問い合わせだった。この製品を軸にしたビジネスを今後どんな戦略で展開していくかを決め、そこで用いられるビジネス上のインフラをいかに整えていく必要があるのか、提案することを求められた。
巨大産業の創出に必要な業務、システム、サプライチェーン……。その全てを用意していく局面の支援が、DTCのプロジェクトメンバーに課されたミッション。熱い議論に明け暮れる日々が始まった。
2008~2010年の期間は、主にビジネスがスタートした場合を想定したカスタマーニーズとそのサポートについての戦略策定がテーマだった。DTCは将来的な競合でもある海外企業が実施しているビジネスの調査を、持ち前のグローバルネットワークの活用や海外スタッフの導入によって実行。実質、桐原をはじめ日米の数名のメンバーがリードする形でプランを固めていった。
11〜12年ごろからは、より現実的な動きが加速していく。事業戦略の策定、製品やサービスの価格設定、必要となる業務やITシステムに関わるプランニングなど。大手製造業の子会社として設立されたばかりの新会社がDTCにとってのクライアントとなるわけだが、クライアント側にこの現実的なビジネスノウハウを持っているエキスパートはいない。だからこそ、「世界を知るDTC」に白羽の矢が立ったわけだ。そこで本ビジネスの先進国アメリカで同産業のコンサルティングを行ってきたエキスパートを招集。まるで、新しい会社をゼロから創り上げていくように、入念に準備が進められていった。
これまで経験したことのない産みの苦しみを味わった
プロジェクト始動当初に参画した遠藤志野は、当時を次のように振り返る。
「一般的に私たちコンサルタントは、クライアント先に組織や事業があり、業務が動いている状態の中に入って、組織や事業が抱える課題、業務の円滑化に向けた手助けをします。しかしこの案件では、そうした前提が一つとしてなかった。非常にやりがいを感じましたが、それと同時に味わったことのない“産みの苦しみ”もまた経験することになりました」
少ない投資で小規模な事業を展開するスタートアップ・ベンチャーを起ち上げるのとはわけが違う。開発費が数千億円といわれる領域で製品を作り、競争の激しいグローバル市場にゼロスタートで飛び込むのだ。やるべきこと、検討すべきことは無数にある。一つ一つの意思決定にかかる重圧も並大抵ではない。クライアントとの議論も、日を追うごとに白熱化していった。
そしてこの新産業創成の試みは、数年前に一つの到達点を迎えた。第1号の製品が産声を上げたのだ。大規模なビジネスゆえに、実質的なビジネスが即座にスタートするわけではないが、いよいよ事業開始を念頭に置いた準備作業に取り掛かる段階を迎えることができたのだ。
13年あたりからDTCのメンバーも加速度的に増強され、15年には総勢数百名レベルにまで拡大。渡邉昂一郎、柴崎公一朗、泙野将太朗など、現在の主要メンバーもプロジェクトに参画した。
最終ゴールは数年先、まだ奮闘は続いていく
渡邉に託されたのは業務プロセスの設計だった。事業が無事スタートした暁に、クライアントがどういうサービスを提供していかなければいけないかを綿密に考えていった。
「会社の組織はどう組み立てるべきか、どういう制度が必要か、新しい会社を一から作っていくのと同じように考えなければいけませんでした」(渡邉)
柴崎が担ったのは、サプライチェーンの設計だ。
「社会的なインパクトがあまりに大きく、最初は緊張しました。ただ、コンサルタントというのは何でも屋であるべきだという信念がありましたし、やるしかないと腹をくくったんです」(柴崎)
新卒入社後すぐに本プロジェクトに参加した泙野は、PMO(プロジェクトマネジメントオフィス)を担当。組織内における個々のプロジェクトマネジメントの支援を横断的に行った。
「全てが初めての体験で、先輩も含めて皆が手探り状態でした。それでも、チームが目指す大きなゴールに向かって、着実に歩を進めていけるようクライアントとの調整を重ねながら仕事を進めていきました」(泙野)
4人の中で最も長く本プロジェクトに携わっている遠藤は、システム開発を担当。クライアントと海外メンバーの間で板挟みになる事態を多く経験し、「何度もバトルしましたよ」と笑いながら振り返る。
「目指すもののスケールが違いますから、本当に他ではあり得ないタフなシチュエーションを幾度も乗り越えてきましたよ。先日、渡邉のチームで設計したプロセスに合わせて、ITシステムをテスト稼働するという大きな節目があったのですが、それがうまくいった時には皆で本気で喜び合いました」(遠藤)
本プロジェクトの最終ゴールはまだこれから。数年先になる予定だ。彼らの奮闘はこの先も続いていく。それでも、日本を変え、産業の歴史を変えるこの取り組みに参加できていることを「誇りに感じています」と4人は口をそろえた。
【2008年】1通のメールから一大プロジェクト始動
「カスタマーサポートについて教えてほしい」
DTC・桐原の元に届いたメールは、厚い信頼関係で以前からつながる大手製造業グループの上層部からのものだった。「一体どんな事業のカスタマーサポートなのか?」。さらに詳細を問い合わせると、日本企業が長きにわたり成し得なかった産業の創出という悲願の計画であったことが判明した。ここから、およそ10年にわたって続いていく一大プロジェクトが始まっていく
【2009年】壮大な新事業に向け戦略策定を進める
米国メンバーを招集し、業務の洗い出しへ
製品自体の開発と製造は、本件に関わる新会社が進めていく。DTCに課せられたのは、新製品開発に付随するビジネスプランの策定と、そこで必要となる業務、システム、サプライチェーン等の確立だった。2009年には戦略を策定したが、製造を担う新会社には過去の事例も経験則もない。急きょ、実績のある米国デロイトのメンバーが招集され、海外の事例の応用を目指す
【2013年】計画策定の段階から実行フェーズへ
世界中から数百人規模のメンバーが集結
3~5名のDTCのメンバーに米国からの助言者を加えた程度の規模で進んできたプロジェクトも、2011年に実行段階へ進むと、日米のDTCからの数十名プラス、実作業部隊がインドから加わった。2013〜2015年のピーク時には、総勢数百人規模の多国籍チームへと膨らんだが、手探りの挑戦ゆえに現場では激しい議論が多発していた
【2015年】現任の主要メンバーが続々参画!
新しい取り組みに、現場との調整が続く
さまざまな価値観と経験を持つ者同士が、前例のないチャレンジに挑む。現場では混乱が生じることも多々あった。このような状況を整理し、現場との調整を重ねながら着実にゴールへとプロジェクトを進めていく。この頃、現在の中核メンバーである渡邉、柴崎、泙野が参画。プロジェクト始動当初にジョインしていた遠藤も再びメンバーに加わる
【2016年】業務プロセスの設計が一段落
同時進行で開発したシステムのテストも完了
一大プロジェクトゆえに、社会全体に与えるインパクトが非常に大きい。関わる人も膨大だ。幾度も計画は延期され、リプランニングを強いられもしたが、2017年には安定稼動の上で欠かせない業務プロセスの設計が一段落し、ITシステムの開発からテストも一旦完了。日本の産業界が長年にわたって待ち望んできた瞬間が刻一刻と近づいている
>>新産業創成プロジェクトの裏側(後編)を読む