「世のため、人のため」
クルマをつくる決意。
トヨタ自動車創業者である豊田喜一郎。その父・豊田佐吉は、少年の頃、毎晩、夜なべをする母親の仕事を、少しでも楽にしたい、と思い、織機を発明していきます。 佐吉の研究を、喜一郎らによって結実したのが、1924年「無停止杼替式豊田自動織機(G型自動織機)」。“自働”で機織りを続け、異常が発生したら“自動”で止まる。生産性や織物品質でも世界一の性能を発揮し、英国のプラット社で特許権を譲渡するほど、高く評価されました。
喜一郎は、「かつて外国製が優れていた紡織機械の分野で、世界が日本製を認めたこと」、「欧米で自動車が普及し、人々の移動の足になっている光景」、さらに、「1923年関東大震災で、日本で組立てられていた『フォード』や『GM』の自動車が活躍している光景」を見て決断します。ただ「自動車」を作るのではなく、「日本の自動車を、日本人の頭と腕でつくりたい、自動車工業は日本でも必ず成り立つ!」と。
1933年9月1日、豊田自動織機製作所に、自動車部を立上げ、自動車事業への進出を決定。この「自動車部」が、後の、トヨタ自動車です。