私たちは幼い頃から、学校教育の中で、全員の正解が同じ「一般解」を導き出すことに慣れてきました。しかし、社会に出ると、今までとは異なるゲームへの参加が求められます。社会人がプレーするのは、無数にある選択肢の中から、自分だけの「個別解」を求めるゲームだからです。当たり前ですが、「個別解」は人によって異なります。私自身、コンサルティングファームと事業会社を経験した後、大学院の博士課程に戻って研究しながら起業するという、まさに「個別解」を追求してきました。
これはあくまでも個人的な感想ですが、幼少期から周囲の期待に応え、優秀な学生とされてきた方ほど、学校と社会の「ゲームの違い」に気付いていない印象があります。きっと、「一般解」を求めるゲームに過剰適応してしまったからでしょう。他者が定めた物差しを信じて進路を決めたからといって、不幸になるわけではありません。それでも、私はまだ何者でもない若き日にこそ、短期的な合理性や効率だけにとらわれず、自分の価値観が揺さぶられるような経験をすべきだと思います。今、視界に捉えている風景の外に、自分の「個別解」が隠れているかもしれないからです。
私がそれを見つけたのは、修士時代に参加したシリコンバレー視察ツアーでのこと。3日間にわたって、現地で働く日本人エンジニアと議論する貴重な機会を通して、情報技術がもたらす無限の可能性を肌で感じました。しかし、あの時得たのはそれだけではありません。才能と個性溢れる彼らが人生を謳歌している姿を見て、働き方は、世間が思い描くような画一的なものだけではないのだと気付かされたのです。もしあのツアーに参加していなければ、私は今とは全く異なる人生を送っていたでしょう。ましてやAIにオールインしたり、起業したりすることもなかったはずです。
 
   
           
     
                
               
                
               
                
               
              
            

