僕にとってテレビ東京に入社した1年目は、組織との付き合い方を模索する期間でした。当時はとんでもない仕事量で、最初の8カ月間は家に帰れた日が86日しかなかったんです。理想と現実のギャップに泣いたこともあったし、「内定をもらった他の会社に行った方がよかったかも」と頭をよぎったこともありました。そんな日々の中で、僕は仕事や会社に全てを明け渡すと心が駄目になると早々に気付いた。だから自分の心と体を守るために、周りから嫌われてでも自分の時間をつくろうと考えました。計画的に態勢を整え、余裕が出てきたことで、ようやく会社の中でどう生きるか、戦略を立てられるようになりましたね。
そこで気付いたのは、社内の人に自分を知ってもらわないとやりたい仕事にはたどり着けないということでした。たとえ企画が面白くても、社内でのネームバリューが無いと通らない現実が見えてきたんです。僕は生意気で、会社の付き合いにはほぼ参加しなかったから、仕事で顔を覚えてもらうしかない。だから2年目の夏からの3年間はできる限り、どんな仕事でもやりました。周りは合コン三昧で、20代のうちから戦略を立てて仕事をしているのは僕くらい。自分の仕事を確立できたら一人勝ちだと思って、入社2~3年目は企画書をめちゃくちゃ書きましたね。テレビ業界以外に就職した学生時代の友人と話す中で、どの業界でも20代のうちにある程度成果を出さないと先が厳しいことは分かっていましたから。
結果として、3年目に初めて自分の企画でプロデューサーをやって、ちょうど「何でもやる3年間」が過ぎた5年目に『ゴッドタン』の前身番組の総合演出を手掛けることができました。
 
   
           
     
                
               
                
               
                
               
              
            

